SNS発信型の自己満足

これは今の日本の体制にも問題があると思います。
日本全国が本気で熊本を立て直したいと考えているなら、有志のボランティアが活用しやすくなるように国が協力するべきです。
要は社会人が現地で支援したいなら勤務先の企業は、その間の労働を会社の労働と認めるとか。
学生が現地で支援したいなら所属している学校は公欠扱いにするとか。

今の世の中で「熊本でボランティアしたいので現地へ行きたいです」
という社会人がいたとして、二つ返事で承認してくれる企業がどれだけいるでしょうか。
きっと企業としては従業員を現地へ行かせるぐらいなら、実際に募金をしてそれを公表することを選ぶと思います。

従業員が現地へ行けば生産効率は落ちますが、募金なら一時的にお金が減ってもそれは宣伝も兼ねるので無駄にはなりません。
かといって、現地へ行きたくない人を何らかの行事として強制するのは良くありませんね。
それはボランティアではなく単なる強制労働です。

被災者を支援したいという本心より、それを利用して知名度アップをはかる企業や、
SNSで発信して好感度アップをはかる個人ばかりでとても複雑な気持ちになりました。

熊本支援の続き

だいぶ時間は空いてしまいましたが、確かにお金も物資も励ましの言葉も必要だとは思います。

でもそれは心からの行動ではなく「世間体から身を守るための行動」なんじゃないかと。
自分はお金も物資も言葉も送っていないので、あれこれ書く資格はないのかもしれません。
でも本当に被災地の支援をしたいなら、現地へ行って出来ることを探すべきだと思います。

おそらく現地でのボランティアとなると二の足を踏む人が多いはず。
費やす時間やお金、危険度、今の仕事が滞ること等、様々な理由がありますから。

形ばかりの行動を起こすことは「ぼくはわたしは被災者に配慮しています、同情できる人間なんです」
と周囲にアピールすることの方が主なんじゃないかと。

だって募金をしたなら公表する必要はないですし、わざわざ自分が書いた証拠が残るアカウントのSNSで発信する必要もありません。
それをわざわざ誰からも見える形で公表している時点で、被災地を利用して好感度アップを図っているんじゃないかと。

熊本の地震で思うこと

熊本を震源地とした大規模な地震が発生したのは周知の通りです。
テレビに映し出される悲惨な風景。泣き崩れる被災者達。
それらを見ても心が動かず、やはり他人事という視点で見ていました。

ニュースに目を向ければ著名人や芸能人が募金したという報道。
芸能人がいくら募金したかを公表しないことに怒る市民。
ガソリンスタンドで被災者が順番待ちをしているところに割り込むテレビ局の報道車。
全国から寄せられた救援物資が大量すぎて、物資を保管する倉庫に置ききれずに追加支援を打ち切る現地。

確かに募金も救援物資も素晴らしいと思います。でもどこの誰が募金したか?いくら募金したか?
という話題はどうでもいいんじゃないかと個人的には感じました。

ふせんの続き

現状でどうしているのかというと、ふせんを持っていない人がふせんを使いたくなった時に
わざわざふせんを持っている人のところまで移動して借りていくんです。
そして使い終わったらまた返しにくるわけですよ。
まぁその人の場合は片付けない人なので、ただでさえ二度手間なのに
リーダーが使い終わって放置してある備品を回収するわけです。
「使い終わったら元の場所に戻してください」なんてことは当たり前すぎて注意する気になりません。

こうして書くと何気ない作業のように思えますが、借りにくる方は申し訳ない気持ちになるはずですし
貸す側としては正直なところ気が散ります。これは借りる側にもいえることで、席を立って作業を中断しないといけません。
それが一瞬であっても集中力が途切れるということは仕事のミスに繋がる可能性を高めるリスクにもなります。

貸し借りの時間的ロスも見逃せません。微々たるものですが、それを毎日数人が、何回もやれば合計すれば無視できない時間になるかと思います。
まぁ一番のロスは、このような案を説明しても理解してくれないリーダーがいること自体だったりしますけどね。

消耗品の分散による考え方の違い

みなさんは必要な消耗品を1箇所にまとめておきますか?それとも分散させますか?
必要な物といっても個人差があるかと思いますが目薬とか、喫煙者ならタバコ等ですね。
自分は目薬や胃腸薬といった、あちこちに配置しておける類の物は数か所に置いています。

メリットとしてはどこにいても使えるので場所を選ばず、探し回る時間を削減できることだと思います。
極論を言えば具合が悪くなった時、胃腸薬をあちこちに忍ばせておけば最悪の事態を防ぎやすくなりますね。
デメリットはそれだけ消耗品を購入しておかなければならないことですが、

数か所に置きたいほどの物は遅かれ早かれ使いきるほど頻度が高いものですから、一時的に買う量が増えるだけです。
目薬みたいに開封してから明らかに長期間放置すると品質の劣化が心配ですが。
どうしてこのようなことを書いたのかというと、事務の備品でふせんがありますよね。
個人的には色んな人が使うのであちこちに置いた方が良いと思うんですが、
うちのリーダーとしては一か所に置いておきたいらしいんです。

同情よりも現実を考える

やっと中身に入りますが「動物の命が78円という事実を知り、何らかの対策をするべき」という内容について、個人的な意見を書かせてもらえば
「同情はするけれど現実的な手段が乏しい」という考えなので、賛成か反対かでいえば反対です。
同情するだけなら誰でもできると思うんですよね。同情するだけなら自分もします。

じゃあ実際に野良猫を救うためにいくら払えるか?というところが疑問です。別にこれは殺処分にかかる費用だけではありません。
野良猫を保護して育てるという活動が必要なら、活動費や宣伝費も必要となってきます。
つまり賛成派の人達に「殺処分に対する費用だけでなく様々な費用が発生しますが、あなた達は1人あたりいくら払えるのですか?」と聞いてみたいですね。

同情をするなら相応の結果を伴うべきだと考えています。まさか「税金を投入すればいい」とかいう意見が出たら怒りますね。
人間を最優先にするのは当然であって、野良猫に公共のお金を使う余裕はありません。
当然ですが野良猫を救いたい、殺処分される野良猫を減らしたいという愛猫家が個人的にお金を払って保護するのは全く問題ありません。
ただ公共のお金を使ってまで野良猫を救いたいと本気で考えているなら、優先順位を考えてほしいと感じました。

小学生の作文が大人を動かす

「78円の命」の議論については賛否両論があってとても勉強になったのですが、一部の人達が小学生自身を叩いていたのは意味が分かりませんでしたね。
このような人達は誰が何をしても必ず叩くので、それが掲示板のような匿名性が高く不特定多数が混ざる場所であれば炎上を助長させる要因にもなります。
大体そのような人達はたいした能力がなく、今回の小学生のように有名になった人を妬んで結果的に叩くという行動に走らせたのだと思います。

叩きについては本来の議論から逸れた内容なわけですが、自分としては叩く行為も多少は必要だと思いますね。さすがに多すぎると話が脱線しますが。
小学生の意図は「より多くの人達に知ってほしい」という想いで「78円の命」を書いたんだと思います。
賛否両論による議論という形で大人達が動いてくれた時点で、作者の意図通りになっているんですよね。
そこに議論と関係のない叩きが炎上を生み、より多くの人達の目に止まるという結果となりました。

きっと叩いた側としては単なる妬みだったのでしょうが、叩けば叩くほど「より多くの人に知ってもらいたい」
と望む作者の意図が達成されることに、叩いている本人達は気付いていないんでしょうけどね。
「小学生の書いた文章が大人を動かした」という事実は、ライターの端くれである自分にとっても良い刺激になりました。

「78円の命」

みなさんは「78円の命」というのを聞いたことがあるでしょうか。
これは、とある小学生が書いた作文のタイトルで「野良猫の殺処分にかかる費用が78円」
という事実に対して、疑問を投げかけるという内容でした。

ただ、そこで取り上げられていたニュースでは賛否両論で
「命の重さはお金という価値では表現できないよ派」と「野良猫が増えれば被害も増えるから妥当派」
に分かれ、様々な議論が繰り広げられていました。

個人的には冷たい言い方ですが「猫の命が78円が妥当かどうか」というのはそれほど重要ではないと考えています。
むしろ重要なのは「小学生が書いた作文が大人を考えさせ、何らかの行動をさせるほどの訴求力を持った」という事実ではないでしょうか。
ちなみに作文がプロのライターの目に止まり、より多くの人達の目に止まることになりました。

賛成する意見もあれば反対する意見もあり、どちらが正しくてどちらが間違っているというのは誰にも判断がつきません。
「命は尊いのだから、野良猫を保護するべき」という賛成派の意見に同情はできますし
「では保護する費用は誰が出すのか?人間でさえ補助できていないのに猫まで回す金はない」という、反対派の現実的な意見も理解できます。

会社の強さの大部分を握るのは人間関係

発言した本人からしてみれば交流する意味での会話をしたつもりが、
相手にとっては不快感を与えてしまうなら、いっそのこと会話をしないことが正解かもしれません。
ただ仕事以外の会話をしない関係というのは、確実に仕事へ悪影響を与えます。

どうしてかというと、お互いに嫌な印象を抱いていれば接触は必要最低限で済ませたいはず。
報告するべきかどうか判断に悩む程度の事案が発生したら、仲が良ければ会話ついでに話せますが
仲が悪ければ報告しないことの方が多くなるのではないでしょうか。
そういう場合に限って大きなミスに発展したりして、さらにそれが原因で余計に仲が悪化してしまうという悪循環。

なので上司と部下の関係が悪いとか男女の関係が悪い企業というのは、それ自体がリスクと考えています。
さすがに嫌いな人を好きになれとは言いませんが、嫌いな人を可もなく不可もなくレベルまで持ってこないと
円滑な仕事をするのは難しいと思いますね。

ただしイケメンに限るの法則

男の上司が部下のOL等に話しかける時に
「その服装かわいいね」とか「昨日は何してたの?」と聞くのはセクハラやパワハラ扱いになるらしいです。
例えば性的な表現を用いるとか、意図的に触る等の行為をした場合はそのような扱いになっても納得できますが
褒める言動やコミュニケーションとしての会話をしただけでダメとは、本当に怖い世の中になりました。

というか結局は言葉ではなく、発言した相手との関係によって変わると思うんですよね。
好きな人やイケメンに言われたら悪い気はしないどころか逆に嬉しいぐらいでしょうけど。
嫌いな人や生理的に受け付けない人から何を言われてもダメということなのだと思います。
これはネットでも話題になっていて、大体の物事においてイケメンなら許されるという風潮として
「※ただしイケメンに限る」と書かれるようになりました。