大和君の続き

子供を叱って分からせるのではなく、置き去りという安易な方法に走った時点でしつけ方がそもそも間違っていたのだと思います。
今回は子供がサバイバル能力に優れてたまたま無事に発見されましたが、
他の子供では6日間も見つからなければほぼ死んでいたという見方が専門家の大半のようです。

推測でしかありませんが、死んだら死んだで構わないから意図的に置き去りにしたのだと考えています。
手のかかる子供だから山菜の散策中にはぐれたと嘘をつき、合流をしないことで殺してしまおうと。
最終的には誤解が解けたようですが、父親が疑われても仕方のない状態だったと思います。

というか子供の捜索を警察に頼む時に嘘の情報を提供している時点で、子供よりも親の保身を考えているのはクズです。
たまたま全国放送で知れ渡ってしまいましたが、多かれ少なかれ似たような間違ったしつけはどの家庭にでもあるのではないかと。
今回はその氷山の一角に過ぎないということを改めて認識させられた気がします。

大和君事件について

だいぶ前の話題ですが…結論から言えば心身共に健康を維持した状態で見つかったことは、喜ばしい限りです。
ただ「しつけとは何か?」というのを考えることになったキッカケになったのではないでしょうか。

本来は家庭の事情であり世間が口を挟むべきではないのは承知の上ですが、
やはり過度なしつけが結果的には皆に迷惑をかけてしまいました。

一方で父親の供述が二転三転していることに加えて平気で嘘をついたり、
子供が見つかってからの会見についても泣きもせず、無表情で淡々と語る様子は親として失格だという印象を受けました。

そもそも今回の騒動の発端となった車から降ろして置き去りにするというしつけ方は、
子供が他人や車に石を投げていたことに対するしつけだったようです。
ただ子供のやった行動に対して子供を責めるというのはお門違い。
むしろ子供の行動に対して間違いを認めさせ、健全な方向に修正させるものがしつけではないでしょうか。

老人ホームの転落事件と似ている?

数か月前にも別事件で、老人ホームで働いた従業員が障害者からお金を盗んだり、
窓から転落させて殺した事件がありました。
それは従業員に問題があるというよりも、その仕組みを作っている現代社会こそ原因があると思います。
殺人が悪いことなのは書くまでもありませんが、そうなるように仕向けているのが私達という自覚を持つべきかと。

その証拠に彼ら犯罪者の対象は障害者に限定されていて、同じ施設で働く従業員には手を出していないんですよね。
相模原の事件では鍵を持っている職員を殴って縛った程度で殺意はありませんし、
もしこれが無差別殺人なら従業員も含めて皆殺しにされていたはずです。

それでお上の対策は「施設の警備を強化します」と言っているわけですから、
根本的な解決になってない時点でダメだなと思いますね。

相模原市の例の事件について

相模原市で、障害者施設において19人を殺害したという事件は有名になりましたね。
平成になってから1人が殺した人数として最大の死者だったようです。
このような事件が起きるたびに決まって話題になるのは「加害者の異常性」という部分です。

その施設の元従業員ということもあり、おそらく仕事上のストレスが蓄積していって
彼を凶行に走らせたのではないか?と予測しています。
となると原因を作ったのは障害者たちであり、その障害者たちを隔離している人達…
つまり私達のように、お金を払って施設へ押しつけている者にも責任の一端があると言えます。

勿論、お金を払って施設に入れているわけですから義務は果たしているように見えますが、
結局はお金を払って厄介者を目の見えないところに押し付けているだけですよね。
そして厄介者を集めた施設が障害者施設であり、いつか爆発するのは目に見えていたはずです。

SNS発信型の自己満足

これは今の日本の体制にも問題があると思います。
日本全国が本気で熊本を立て直したいと考えているなら、有志のボランティアが活用しやすくなるように国が協力するべきです。
要は社会人が現地で支援したいなら勤務先の企業は、その間の労働を会社の労働と認めるとか。
学生が現地で支援したいなら所属している学校は公欠扱いにするとか。

今の世の中で「熊本でボランティアしたいので現地へ行きたいです」
という社会人がいたとして、二つ返事で承認してくれる企業がどれだけいるでしょうか。
きっと企業としては従業員を現地へ行かせるぐらいなら、実際に募金をしてそれを公表することを選ぶと思います。

従業員が現地へ行けば生産効率は落ちますが、募金なら一時的にお金が減ってもそれは宣伝も兼ねるので無駄にはなりません。
かといって、現地へ行きたくない人を何らかの行事として強制するのは良くありませんね。
それはボランティアではなく単なる強制労働です。

被災者を支援したいという本心より、それを利用して知名度アップをはかる企業や、
SNSで発信して好感度アップをはかる個人ばかりでとても複雑な気持ちになりました。

熊本支援の続き

だいぶ時間は空いてしまいましたが、確かにお金も物資も励ましの言葉も必要だとは思います。

でもそれは心からの行動ではなく「世間体から身を守るための行動」なんじゃないかと。
自分はお金も物資も言葉も送っていないので、あれこれ書く資格はないのかもしれません。
でも本当に被災地の支援をしたいなら、現地へ行って出来ることを探すべきだと思います。

おそらく現地でのボランティアとなると二の足を踏む人が多いはず。
費やす時間やお金、危険度、今の仕事が滞ること等、様々な理由がありますから。

形ばかりの行動を起こすことは「ぼくはわたしは被災者に配慮しています、同情できる人間なんです」
と周囲にアピールすることの方が主なんじゃないかと。

だって募金をしたなら公表する必要はないですし、わざわざ自分が書いた証拠が残るアカウントのSNSで発信する必要もありません。
それをわざわざ誰からも見える形で公表している時点で、被災地を利用して好感度アップを図っているんじゃないかと。

熊本の地震で思うこと

熊本を震源地とした大規模な地震が発生したのは周知の通りです。
テレビに映し出される悲惨な風景。泣き崩れる被災者達。
それらを見ても心が動かず、やはり他人事という視点で見ていました。

ニュースに目を向ければ著名人や芸能人が募金したという報道。
芸能人がいくら募金したかを公表しないことに怒る市民。
ガソリンスタンドで被災者が順番待ちをしているところに割り込むテレビ局の報道車。
全国から寄せられた救援物資が大量すぎて、物資を保管する倉庫に置ききれずに追加支援を打ち切る現地。

確かに募金も救援物資も素晴らしいと思います。でもどこの誰が募金したか?いくら募金したか?
という話題はどうでもいいんじゃないかと個人的には感じました。

ふせんの続き

現状でどうしているのかというと、ふせんを持っていない人がふせんを使いたくなった時に
わざわざふせんを持っている人のところまで移動して借りていくんです。
そして使い終わったらまた返しにくるわけですよ。
まぁその人の場合は片付けない人なので、ただでさえ二度手間なのに
リーダーが使い終わって放置してある備品を回収するわけです。
「使い終わったら元の場所に戻してください」なんてことは当たり前すぎて注意する気になりません。

こうして書くと何気ない作業のように思えますが、借りにくる方は申し訳ない気持ちになるはずですし
貸す側としては正直なところ気が散ります。これは借りる側にもいえることで、席を立って作業を中断しないといけません。
それが一瞬であっても集中力が途切れるということは仕事のミスに繋がる可能性を高めるリスクにもなります。

貸し借りの時間的ロスも見逃せません。微々たるものですが、それを毎日数人が、何回もやれば合計すれば無視できない時間になるかと思います。
まぁ一番のロスは、このような案を説明しても理解してくれないリーダーがいること自体だったりしますけどね。

消耗品の分散による考え方の違い

みなさんは必要な消耗品を1箇所にまとめておきますか?それとも分散させますか?
必要な物といっても個人差があるかと思いますが目薬とか、喫煙者ならタバコ等ですね。
自分は目薬や胃腸薬といった、あちこちに配置しておける類の物は数か所に置いています。

メリットとしてはどこにいても使えるので場所を選ばず、探し回る時間を削減できることだと思います。
極論を言えば具合が悪くなった時、胃腸薬をあちこちに忍ばせておけば最悪の事態を防ぎやすくなりますね。
デメリットはそれだけ消耗品を購入しておかなければならないことですが、

数か所に置きたいほどの物は遅かれ早かれ使いきるほど頻度が高いものですから、一時的に買う量が増えるだけです。
目薬みたいに開封してから明らかに長期間放置すると品質の劣化が心配ですが。
どうしてこのようなことを書いたのかというと、事務の備品でふせんがありますよね。
個人的には色んな人が使うのであちこちに置いた方が良いと思うんですが、
うちのリーダーとしては一か所に置いておきたいらしいんです。

同情よりも現実を考える

やっと中身に入りますが「動物の命が78円という事実を知り、何らかの対策をするべき」という内容について、個人的な意見を書かせてもらえば
「同情はするけれど現実的な手段が乏しい」という考えなので、賛成か反対かでいえば反対です。
同情するだけなら誰でもできると思うんですよね。同情するだけなら自分もします。

じゃあ実際に野良猫を救うためにいくら払えるか?というところが疑問です。別にこれは殺処分にかかる費用だけではありません。
野良猫を保護して育てるという活動が必要なら、活動費や宣伝費も必要となってきます。
つまり賛成派の人達に「殺処分に対する費用だけでなく様々な費用が発生しますが、あなた達は1人あたりいくら払えるのですか?」と聞いてみたいですね。

同情をするなら相応の結果を伴うべきだと考えています。まさか「税金を投入すればいい」とかいう意見が出たら怒りますね。
人間を最優先にするのは当然であって、野良猫に公共のお金を使う余裕はありません。
当然ですが野良猫を救いたい、殺処分される野良猫を減らしたいという愛猫家が個人的にお金を払って保護するのは全く問題ありません。
ただ公共のお金を使ってまで野良猫を救いたいと本気で考えているなら、優先順位を考えてほしいと感じました。