消耗品の分散による考え方の違い

みなさんは必要な消耗品を1箇所にまとめておきますか?それとも分散させますか?
必要な物といっても個人差があるかと思いますが目薬とか、喫煙者ならタバコ等ですね。
自分は目薬や胃腸薬といった、あちこちに配置しておける類の物は数か所に置いています。

メリットとしてはどこにいても使えるので場所を選ばず、探し回る時間を削減できることだと思います。
極論を言えば具合が悪くなった時、胃腸薬をあちこちに忍ばせておけば最悪の事態を防ぎやすくなりますね。
デメリットはそれだけ消耗品を購入しておかなければならないことですが、

数か所に置きたいほどの物は遅かれ早かれ使いきるほど頻度が高いものですから、一時的に買う量が増えるだけです。
目薬みたいに開封してから明らかに長期間放置すると品質の劣化が心配ですが。
どうしてこのようなことを書いたのかというと、事務の備品でふせんがありますよね。
個人的には色んな人が使うのであちこちに置いた方が良いと思うんですが、
うちのリーダーとしては一か所に置いておきたいらしいんです。

同情よりも現実を考える

やっと中身に入りますが「動物の命が78円という事実を知り、何らかの対策をするべき」という内容について、個人的な意見を書かせてもらえば
「同情はするけれど現実的な手段が乏しい」という考えなので、賛成か反対かでいえば反対です。
同情するだけなら誰でもできると思うんですよね。同情するだけなら自分もします。

じゃあ実際に野良猫を救うためにいくら払えるか?というところが疑問です。別にこれは殺処分にかかる費用だけではありません。
野良猫を保護して育てるという活動が必要なら、活動費や宣伝費も必要となってきます。
つまり賛成派の人達に「殺処分に対する費用だけでなく様々な費用が発生しますが、あなた達は1人あたりいくら払えるのですか?」と聞いてみたいですね。

同情をするなら相応の結果を伴うべきだと考えています。まさか「税金を投入すればいい」とかいう意見が出たら怒りますね。
人間を最優先にするのは当然であって、野良猫に公共のお金を使う余裕はありません。
当然ですが野良猫を救いたい、殺処分される野良猫を減らしたいという愛猫家が個人的にお金を払って保護するのは全く問題ありません。
ただ公共のお金を使ってまで野良猫を救いたいと本気で考えているなら、優先順位を考えてほしいと感じました。

小学生の作文が大人を動かす

「78円の命」の議論については賛否両論があってとても勉強になったのですが、一部の人達が小学生自身を叩いていたのは意味が分かりませんでしたね。
このような人達は誰が何をしても必ず叩くので、それが掲示板のような匿名性が高く不特定多数が混ざる場所であれば炎上を助長させる要因にもなります。
大体そのような人達はたいした能力がなく、今回の小学生のように有名になった人を妬んで結果的に叩くという行動に走らせたのだと思います。

叩きについては本来の議論から逸れた内容なわけですが、自分としては叩く行為も多少は必要だと思いますね。さすがに多すぎると話が脱線しますが。
小学生の意図は「より多くの人達に知ってほしい」という想いで「78円の命」を書いたんだと思います。
賛否両論による議論という形で大人達が動いてくれた時点で、作者の意図通りになっているんですよね。
そこに議論と関係のない叩きが炎上を生み、より多くの人達の目に止まるという結果となりました。

きっと叩いた側としては単なる妬みだったのでしょうが、叩けば叩くほど「より多くの人に知ってもらいたい」
と望む作者の意図が達成されることに、叩いている本人達は気付いていないんでしょうけどね。
「小学生の書いた文章が大人を動かした」という事実は、ライターの端くれである自分にとっても良い刺激になりました。

「78円の命」

みなさんは「78円の命」というのを聞いたことがあるでしょうか。
これは、とある小学生が書いた作文のタイトルで「野良猫の殺処分にかかる費用が78円」
という事実に対して、疑問を投げかけるという内容でした。

ただ、そこで取り上げられていたニュースでは賛否両論で
「命の重さはお金という価値では表現できないよ派」と「野良猫が増えれば被害も増えるから妥当派」
に分かれ、様々な議論が繰り広げられていました。

個人的には冷たい言い方ですが「猫の命が78円が妥当かどうか」というのはそれほど重要ではないと考えています。
むしろ重要なのは「小学生が書いた作文が大人を考えさせ、何らかの行動をさせるほどの訴求力を持った」という事実ではないでしょうか。
ちなみに作文がプロのライターの目に止まり、より多くの人達の目に止まることになりました。

賛成する意見もあれば反対する意見もあり、どちらが正しくてどちらが間違っているというのは誰にも判断がつきません。
「命は尊いのだから、野良猫を保護するべき」という賛成派の意見に同情はできますし
「では保護する費用は誰が出すのか?人間でさえ補助できていないのに猫まで回す金はない」という、反対派の現実的な意見も理解できます。

会社の強さの大部分を握るのは人間関係

発言した本人からしてみれば交流する意味での会話をしたつもりが、
相手にとっては不快感を与えてしまうなら、いっそのこと会話をしないことが正解かもしれません。
ただ仕事以外の会話をしない関係というのは、確実に仕事へ悪影響を与えます。

どうしてかというと、お互いに嫌な印象を抱いていれば接触は必要最低限で済ませたいはず。
報告するべきかどうか判断に悩む程度の事案が発生したら、仲が良ければ会話ついでに話せますが
仲が悪ければ報告しないことの方が多くなるのではないでしょうか。
そういう場合に限って大きなミスに発展したりして、さらにそれが原因で余計に仲が悪化してしまうという悪循環。

なので上司と部下の関係が悪いとか男女の関係が悪い企業というのは、それ自体がリスクと考えています。
さすがに嫌いな人を好きになれとは言いませんが、嫌いな人を可もなく不可もなくレベルまで持ってこないと
円滑な仕事をするのは難しいと思いますね。

ただしイケメンに限るの法則

男の上司が部下のOL等に話しかける時に
「その服装かわいいね」とか「昨日は何してたの?」と聞くのはセクハラやパワハラ扱いになるらしいです。
例えば性的な表現を用いるとか、意図的に触る等の行為をした場合はそのような扱いになっても納得できますが
褒める言動やコミュニケーションとしての会話をしただけでダメとは、本当に怖い世の中になりました。

というか結局は言葉ではなく、発言した相手との関係によって変わると思うんですよね。
好きな人やイケメンに言われたら悪い気はしないどころか逆に嬉しいぐらいでしょうけど。
嫌いな人や生理的に受け付けない人から何を言われてもダメということなのだと思います。
これはネットでも話題になっていて、大体の物事においてイケメンなら許されるという風潮として
「※ただしイケメンに限る」と書かれるようになりました。

信号無視をする人は仕事ができない

最初に書かせてもらいますが、歩行者にとって非常時の信号無視は仕方ないと考えています。
むしろ非常時にも関わらず律儀に信号を守ることの方が、柔軟性に欠けると思っているぐらいなので。

上記のような例外を除き、頻繁に信号無視を繰り返す人は個人的には仕事が出来ない人だと思いますね。
信号の時間は短くて30秒、長くて2分ほどでしょうか。
でも大体は信号が点滅していたら走って渡る人が多いと思いますので、2分をフルで待つ人は少ないかと。
長居と分かっていれば間に合わせようと調整しますからね。
となると2分の信号でも実際に待つのは1分から1分半ほどです。

1分前後の時間さえ待つことができないというのは自分の欲望を制御できないわけですから、
理性が欠けています。そこらへんの動物と同じでしょう。
だって1分前後なんてスマホ取りだして暇を潰すとか、今後の予定を考えるとかすれば余裕で潰せるはずですから。
どうしてそこで信号無視をしよう、という思考回路に辿り着くのが理解できないですね。

信号無視の位置付け

自分としては信号無視をしている人を見かけると激しい憤りを感じます。
その一方で、自分が今まで一度も信号無視をしたことがないか?と聞かれたら、何度かあります。
信号無視といっても歩行者の時で、深夜で横断歩道の距離が短いような限定的なところですが。
さすがに車を運転していたり、一般的な横断歩道とか昼間に堂々と無視をしたことはないです。
でも正直なところ、ケースバイケースだと思うんですよね。

例えば「この信号を渡れば間に合うが、渡らなければ確実に間に合わない」という場合。
まぁそれでも、信号を待っている間に連絡を入れるという手もありますが。

個人的に信号というのは「絶対に守らなければいけないわけではないが、可能な限り守るもの」という認識です。
日常的に信号無視を繰り返すのは人間として危ないと思いますが、
状況によって仕方ないこともありますが、上手く使い分けていきたいものですね。

肉食系と草食系

話がだいぶ脱線してしまいましたが、自分が「覇気が無い」とか「やる気が感じられない」と数人から言われたことについて
皆や社会が求める勝ち組の人生(競争相手を蹴落としてまで出世コースを歩むこと)
の弊害について身を持って体験しているということの説明でした。

巷では草食系と言われたり、団塊世代の人達に言わせれば「指示待ち人間が多い」とのことです。
言葉こそ違いますが全体的な傾向として現れているようです。
自分のように環境面の影響ということもあるかと思いますが、既に経済が成熟してしまっていることも大きいのではないでしょうか。
つまり「あまり頑張らなくても贅沢しなければ最低限の生活は出来る」ということです。

エネルギッシュでリーダーシップのある肉食系の人材が重宝されやすいですが、個人的には草食系の人間も不可欠だと考えています。
それぞれに長所と短所がありますから、それを両者が補うことで初めて真価が発揮されるわけで。
極論を言えば全員が肉食系だったら確実にそのチームは潰れます。単に自己主張の激しい烏合の衆にしかなりませんから。

歪んだ子供が成長してまた歪んだ子供が出来る悪循環

我が家は経済的に豊かではありませんでしたが、農家ということで食事が充実していて
親戚が多くしっかりした人ばかりでしたので色んな話を聞くことができました。
父も事あるごとに話してくれて、時には自分の考えを伝えた時に納得してもらえることもあれば議論にもなったりしましたね。
一緒に連れ回してもらった時は、そこの役割だけでなく仕組みや背景といった詳しい部分まで説明してくれたのを覚えています。

今の父が親であることを誇りに思いますし、問題のある母についても唯一感謝していることは父を選んでくれたということぐらいでしょうか。
個人的に親と子を繋ぎとめるのは金ではなく、共有する時間の長さと質の高さだと思っています。
そのことを理解していない両親が多いというのが現状で、少しずつ歪んだ子供が出来てまたその子供が成長して親になり歪んだ親に…
という悪循環が続いてしまう、と考えています。